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トップからのメッセージ(平成27年度)

トップインタビュー「長崎大学の持つエネルギーの発信」

長崎大学執行部に、伊東昌子副学長/ダイバーシティ推進センター長が直接取材!

長崎大学をどのように作っていきたいかという思い、ダイバーシティについてのご意見、ご自身のワークライフバランス、キャリアなどを語っていただきました。

「長崎大学で働くすべての人が元気になるメッセージ」を連載でお届けします。

目次

【第一回】片峰 茂 学長「グローバル化は地方大学にとって大きなチャンス。ダイバーシティこそが最大の戦略」

長崎大学 学長 片峰 茂

聞き手:長崎大学ダイバーシティ推進センター長 伊東 昌子
インタビュー:2015年11月25日 学長室にて

1.戦略のキーワードは「グローバル化」と「ダイバーシティ」

伊東副学長:片峰先生は、学長就任以前から強いリーダーシップで組織・チームを引っ張ってこられましたが、そのリーダーシップの根源にあるものとは、いったい何でしょうか。

片峰学長:私自身、もともとリーダーシップがあるとは思っていないのです。リーダーシップというと、なかなか難しいのですが、「何とかして長崎大学をひとかどのものにしたい」、それがあるだけです。そのために、どう戦略や戦術を講じていくかを考えていく。ある意味ではそこが、リーダーシップとつながっているのかもしれません。

世界の構造が大きく変化していく中で、長崎という地方あるいは、長崎大学のような地方大学のあり方が、大きな変革期にあることは間違いありません。地域だけでなく世界にも貢献できる若者たちを育成していくためには、どうしたらよいのか。

そのキーワードとして、一つは「グローバル化」。もう一つは「多様性」、すなわち「ダイバーシティ」があると考えています。グローバル化は地方大学にとって非常に大きなチャンスなのです。この長崎大学で、他とは違う、個性ある価値観や人材を育てて、世界に送り出すこと。最大の戦略は、多様性であり、個性なのです。

2.ダイバーシティで「長崎」の個性を活かす

伊東副学長:初めて学長に就任された時と今とでは、世の中も変わってきました。少子高齢化、あるいは人材不足も叫ばれています。そうした逆境の中で、何かを変えていくために、「ダイバーシティ」というのは重要な要素になってきますね。

片峰学長:まさにそうですね。長崎という地方が、個性を持って頑張るには、やはり多様性(ダイバーシティ)が必要です。日本あるいは世界が抱える問題は、非常に多様化しています。多様な人材、価値観、アイデアがないと、もう対応できないのです。その多様性の重要な要素こそが、「地域」であり「地方」だということです。もともと長崎という地域には個性があるし、そこから出てくる価値観やアイデアも、他とは一味違うものが絶対出てくるはずです。

3.この社会を、次の世代につなぐ「リーダー」へ

伊東副学長:今年、長崎大学は文部科学省から「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ事業」に採択されました。その事業の中に、「女性リーダー育成プログラム」があります。実はこの「女性リーダー」というタイトルに躊躇する人も多く、まだ女性がリーダーを目指すことをためらう雰囲気があります。その辺を変えていくために、どうしたらいいとお考えですか。

片峰学長:私自身も、リーダーと言われるのはあまり好きではないですよ(笑)。個人の意識の問題も大きいと思います。「リーダーなんて、そんな面倒なことやらなくても、夢は実現できる」と思う人は多いかもしれません。

でも、この社会情勢で、特に若い人たちには、この社会をなんとか良くする、この良い社会を次の世代につないでいく―という志を持たないと、先はないと思っています。社会を良くするために、個人レベルで頑張ってできることもたくさんありますが、最終的には組織で動き、社会に影響力を与えていくことが重要です。組織のリーダー、すなわちマネージメントする人たちが生産的になり、ハッピーで頑張れるようにすることで、成果を出し、社会を良くしていく。

その責任を担うのは、男性だけでは不十分です。さまざまな価値観、多様性が必要なのですから。高校や大学でも、女性がリーダーシップを発揮して、引っ張っているじゃありませんか。そうした人たちが、多く出てくるといいと思っています。

あとは、ロールモデルが少ないですね。若い人が、ロールモデルとしての女性リーダーに触れ合うチャンスが少ないのが最大の問題だと思います。また、子育てや介護など、社会も含めて一緒に負担する環境を整備することも、非常に大事だと思います。

伊東副学長:男性と違って女性の場合、「自信がない」と言って遠慮することが多いような気がします。

片峰学長:それは男性も同じことですよ。自分も「学長になれ」と言われた時、自信なんてありませんでした。マネージャーとしての仕事は、基本的に受け身。仕事をこなすうちに、自信や面白みも出てくるものです。男女に関わりなく、声がかかった時に、後ろ向きにならずに一歩踏み出せるかどうか。やりたい仕事を突き詰めた時、組織をまとめ、リードする立場に立たざるを得ない場面というものは、必ずくるものです。

4.ワークライフ・インテグレーションという考え方

伊東副学長:女性リーダー育成プログラムは評判も良かったので、今後は男性にも参加してもらいたいと思っています。

さて、本事業の一つとして、「働き方見直しプログラム(ワークスタイルイノベーション)」も実施しているところです。ワークスタイルを変えることで、研究を効率良く行い、成果をあげようという試みですが、学長はその可能性に期待されていますか?

片峰学長:ええ期待しています。ただ、研究分野ではちょっと難しい部分もあるかなと考えていましたが、日本アイ・ビー・エム株式会社の橋本孝之副会長がおっしゃる「ワークライフ・インテグレーション(統合)」という考え方は、なるほどと思いました。普段の研究現場から環境を変えて、いつもと違う場所で研究のことを考えてみる。違うスキルを身につけたり、本を読んだりすることもある。そういうのはいい考えだと思いました。

伊東副学長:学長にとっての「時間管理術」というものがあれば教えてください。

片峰学長:私は失格者ですよ(笑)。研究者時代と同じで、直前にならないと集中力が出ないタイプ。集中力が出せる時間を1時間、2時間と確保することができれば、いい仕事ができると思っています。それを確保するには、「合間の時間」というのが大事。私にとっては、なんとなくボーッと考える時間、というのが実は必要なのです。強制的に頭を働かせない時間ですね。そんなふとした時にアイデアが出るなど、いろんなことがあるものです。

5.研究者としての経験を、マネージメントに生かす

伊東副学長:最後に、これまでの研究や仕事の中で、一番嬉しかったことは何か、教えてください。

片峰学長:自分自身は、研究者としては非常に恵まれていたと思います。「これをやったら、世の中が変わるかもしれない」と思えるようなテーマを選び、仮説を立て、チャレンジしてきました。十打って一当たればいいという感じでしたが、研究者としての醍醐味は、十分良く知っています。

学長になり7年経ちますが、何度か感動したこともありました。それはやはり、自分だけでなく、みんなが同じ志を持ち、同じ方向を向いて、何かをなしとげたこと。その頑張った時空間を、みんなで共有できたことですね。東日本大震災が発生し、自分が「なんとかしないと」と思った時に、周りも「やりましょう」と動いてくれたことは大きかった(※詳しくは長崎大学HP(東日本大震災における長崎大学の支援活動)をご覧ください)。学長になって一番良かったと思うことですね。

伊東副学長:研究者としてやってこられた経験が、現在学長としてのお仕事につながっていることもたくさんあるでしょうね。

片峰学長:理系の研究者として、私は、大学のマネージメントをする時も「エビデンスベースで(科学的根拠に基づいて)やろう」という話をしています。改革もやりっ放しでなく、成果をきちんとしたエビデンスとして出して発信する。だめなら、また考え直せばいいのです。

研究者としての経験や感覚が、学長の仕事に役立っていることは結構あります。かつて、トップジャーナルに出すための英語論文のトレーニングを徹底的にやった経験が、論理的に展開する際、役に立っています。現役の研究者の皆さんも、リーダーシップとは何かを考え、トレーニングしながら、できる範囲で推進していってもらえればと思っています。

伊東副学長:ありがとうございました。やはり片峰先生には、リーダーシップという言葉がぴったりだと思いました。これからも、長崎大学を力強く引っ張っていってほしいと思います。

(了)
※記事は抜粋・一部表現の修正をしています

【第二回】河野 茂 理事「ロールモデルと働きやすい環境づくりで女性の活躍躍進を」

長崎大学 理事 河野 茂

聞き手:長崎大学ダイバーシティ推進センター長 伊東 昌子
インタビュー:2015年12月16日 理事室にて

1.組織や仲間に恵まれた「病院改革」

伊東副学長:河野先生は、これまで長く長崎大学病院長を務められ、財政面だけでなく医療改革も強く推進されました。その功績は、全国でも高い評価を受けていますが、改革を進めてきた情熱の根源にあるものは何でしょうか。

河野理事:医学部長から大学病院長になった時、経営面では全くの素人でした。ただ当時の目的は極めて明確で、片峰学長が就任時、最初に「病院改革」を掲げていたのです。

あの頃は、財政的にも厳しかったし、特に研修医制度の影響で人も少なかった。そんな中、「若人が集う病院」を目指して、それまでは医学部や歯学部の附属だった組織が一緒になり、「長崎大学病院」になりました。病院長が、学長指名で大学の理事になることで、意思決定のプロセスが非常に迅速になったのです。

またシステム作りがうまくいったことに加え、スタッフにも恵まれました。みんなの知恵をうまく結集できたことで働きやすく、結果的にやり甲斐にもつながりました。

学長からのトップダウンと、現場からのボトムアップに加えて、「新しもの好き」な自分のキャラクターとが相まって、結果的にはうまくいったのかなと思っています。

2.研究者・医療人・経営者…それぞれに貢献の楽しさ

伊東副学長:先生はもともと第二内科の教授ですが、研究者・医療人として、またさらにマネジメントもなさってきた中で、どの立場が一番お好きでしたか。

河野理事:第二内科で、私が教授になった頃は、研究面では非常に厳しかったですね。ですから若い時から鍛えた人たちが、その後全国で活躍していることが、第二内科の教授として一番嬉しいことです。

医学部長の時は、内科の再編を、自分の身を切りながら断行しました。今でも批判はありますが、長崎大学医学部のために貢献したのではないかと思っています。病院長の時は、若い人が働きやすい病院づくりに尽力しました。それぞれに、楽しい点がありましたね。

3.頑張る女性には、偉くなってほしい

伊東副学長:先生の後輩や教え子たちが、全国津々浦々で活躍されています。女性医師も登用され、業績も上がってきています。男性も女性も同じように育てておいでですね。

河野理事:ただ、女性の先生方に不満なのは、あれだけ能力があって、人柄もいいのに、なかなか偉くなろうとしないところです。あれだけのキャパシティーがあれば、男性であれば大学でもっと偉くなるだろうに、長崎の女性医師の皆さんは、おしとやかすぎてね(笑)。男何するものぞと、頑張ってほしいと思っているのです。

私自身も娘が2人いますし、母は現在90になりますが、あの時代に薬剤師として働きながら、私たちを育ててくれました。そういったのを見ていると、女性が働くのは確かに大変だけれども、バリバリ頑張ってほしいなと思うんです。

第二内科は女性医師が多くて、結婚して子どもを持って、簡単に家庭に引っ込んでしまう人も中にはいます。一方で、家庭を持ちながら、臨床も研究も頑張っている女性医師もいる。そういう人には、ぜひ偉くなってほしいと思っています。

4.気持ちよく働ける職場環境づくりが必要

伊東副学長:長崎の女性はおとなしいと言われますが、全国的にもその傾向はあって、やはり登用する時に「自信がない」とか、「両立が難しい」という人は、まだまだ多いですね。

河野理事:確かに臨床では、女性医師が出産してお子さんを持つと「主治医になりにくい」とか、「当直はちょっとできない」という制約はあるかもしれません。でももう、女性を活用しないとやっていけないでしょう。女性が働きやすいように、産科婦人科の教授である増﨑病院長も自ら動いて、周囲に働きかけておられますよね。女性が働き続けやすい環境づくりに、これから一層、教授や病院の院長らのご配慮が必要になってくると思います。

伊東副学長:長崎大学で女性がもっと活躍するために、何かいいお知恵があれば教えてください。

河野理事:女性教員が少ない学部は特に、女性を積極的に登用すべきだと思っています。女子学生にとって「将来こうなりたい」と思えるような大先輩が教員でいれば、その先生のもとで研究してみよう、となるはずです。

伊東副学長:ロールモデルの必要性ですね。他には、どんなことがありますか。

河野理事:これから議論が必要ですが、教育メインの教員とか、研究メインの教員など、自分の専門性をより発揮できる働き方が、男性女性を問わず必要になってくるのではと思います。それが実現すれば、時間も管理しやすくなるかもしれません。まだ一般的には、女性の方が男性より、働く時間の融通が利かないのが現状。一定の時間内で、女性が気持ちよく働けるような制度を、組織で作れたらいいのではと思います。

子どもができたら、いろんなサポートが必要です。国が出生率の目標を立てていますが、そんなことよりも北欧のように、子どもが多くなればなるほど、教育や生活のサポートなど、経済面でも楽になるようにしてほしい。もっと若年層向けに税金を使って、若い人や女性が働きやすい環境を作ってもらうことが、人口減少解消にもつながると思っています。

5.常に行動し続ける

伊東副学長:先生の「イクジイ」ぶりはよく伺います。お孫さんの誕生日など、年度始めに宣言して休暇を取れる「記念日休日」の制定や、在宅勤務の推進など、ぜひお力添えいただきたいと思っています。

河野理事:私ももう65を過ぎて、リタイアの年になります。最長生きても15年程度かなと思っています。今は、ボイストレーニングをやったり、妻と水泳をしたり、好きな書道やゴルフも続けています。何だか「趣味に生きています」という感じですね(笑)。

伊東副学長:河野先生は仕事もバリバリなさって、プライベートの時間も大切になさっていますね。その秘訣はなんですか。

河野理事:私は時間の使い方に貪欲なのです。片峰学長は、休日にゆったり過ごすタイプですが、私の場合はまったく逆(笑)。もう動きっぱなし。ハツカネズミと一緒で、常に何かをせずにはいられない。いまはラジオの英会話を毎日聞いています。移動中も聞いているので「ながら族」です。じっとできないキャラクターですね。

伊東副学長:先生、ハツカネズミというより、マグロと言ったほうがよいのでは。

河野理事:止まったら死ぬということね。泳ぎ続けないと…。寂しい習性ですね。無駄なこともいっぱいしていますが、とにかくじっとしていることが嫌いなのです。頭を使わず、体を使うタイプ(笑)。学長が頭を使って考えたことを、私が行動して実行する、ということですね。

伊東副学長:これまで仕事や研究の上で、一番嬉しかったことは何ですか。

河野理事:弟子たちが、たくさん教授になってくれたことですね。20年間教授としてやってきた、一つの証。これが誇れることであり、嬉しいことかなと思っています。

(了)
※記事は抜粋・一部表現の修正をしています

【第三回】山﨑 裕史 理事「職種を問わず、時間のコントロールは重要なテーマ」

1.長崎大学が持つたくさんの「潜在力」を、もっと表に

長崎大学 理事 山﨑 裕史

聞き手:長崎大学ダイバーシティ推進センター長 伊東 昌子
インタビュー:2016年2月15日 理事室にて

伊東副学長:山﨑理事は、長崎大学の事務局長として重要な責務を担っておられ、他大学でのご経験も豊富です。まずは、長崎大学の良いところを挙げていただけますか。

山﨑理事:長崎大学には様々な歴史と実績がありますし、熱帯医学研究所や原爆後障害医療研究所に代表される、日本でも類を見ない機関もあります。そうした強みだけに満足せず、片峰学長の強いリーダーシップで、他の様々な強みも引き出されている…ということが、この大学の最大の強みだと思っています。

伊東副学長:逆に、ここはちょっと物足りない…というところはありますか。

山﨑理事:先ほど特色として挙げた2つの研究所だけでなく、水産や環境科学、歴史のある経済や医歯薬など、様々な潜在力が長崎大学には存在します。それを顕在化させるためにどのような戦略で進めていけばいいのかを考えて行ければ第2、第3の強みが生まれ、全体の力が一層強くなっていくと思います。

伊東副学長:底上げしていくエネルギーというのが、なかなか難しいところですね。

山﨑理事:私は財務に関わる仕事をしていますが、大学の様々なことは、予算的な裏付けが必要になってきます。いかにして効果的に資源を投入し、伸ばしていくかが課題です。自ら資金を獲得し、さらに伸ばしていくというような、いいスパイラルが生み出せればと思います。

2.女性も男性も、同じ立場で能力発揮できる時代

伊東副学長:女性事務職員の能力を伸ばすことも、ダイバーシティマネジメントの一つです。今後は受け身でなく、新しいことを切り開く姿勢も必要になってくると思いますが、いかがでしょうか。

山﨑理事:私が霞が関の文部科学省に勤務していた頃、上司や幹部で、非常に優秀な女性の方々がいました。そういう人達と一緒に仕事をしていると、男性も女性も関係なく、優秀な人は優秀なんだなと実感しました。私は現在、事務局長という立場で、事務職員の皆さんと接しますが、本当に男性も女性も関係ないですね。

ただ、議論の場に出た時に、どれだけの思いや考えを伝えられるか…。これまでは、男性が、議論することを訓練できる流れの中で仕事をしてきました。でも多くの女性は、そうした流れの中で仕事をできる環境になかったわけです。

ですが、これからは徐々に改善されていくでしょう。むしろ我々の立場のような者が、積極的に意見を引き出せるような雰囲気を作っていければと思っています。

伊東副学長:隅っこにいたい女性の気持ち…、よくわかります。その辺の意識を変えるには時間がかかるかもしれませんが、そこに向かって取り組んでいかないといけませんね。

山﨑理事:従来は、常勤職員に女性が少なく、非常勤職員として補佐してもらうことが多かったわけです。任せる仕事の内容や質も違ったし、意見を求める場面も少なかった。でも今は、常勤職員にも女性が増えてきていますから、求めるものは男性と同じです。これからは、どんどん変わっていくと思います。議論に参加する以上は、自分自身でいろいろ調べたりして、意見のベースになるものを、常日頃考えておくことが必要ではないでしょうか。

3.これからの事務職員に求められるのは、「企画力」と「実行力」

伊東副学長:先生の後輩や教え子たちが、全国津々浦々で活躍されています。女性医師も登用され、業績も上がってきています。男性も女性も同じように育てておいでですね。

伊東副学長:現在、研究者を対象に実施している「ワークスタイルイノベーション」の取り組みを、今後は事務職員にも拡げていこうと考えています。

山﨑理事:大いに歓迎します。事務は教育研究とは違う職種になりますが、違うのは仕事内容であって、仕事時間をいかに効率的に使うかについては、どこでも同じだと思っています。うまく時間をコントロールできるようになれれば、能率も能力も上がります。客観的に時間を管理することで、例えば3日かかることを2日に短縮する、というようなことにもつながればと期待しています。仕事の優先順位の判断を、自分で決めていくということも重要ですよね。

伊東副学長:事務系は受け身の仕事も多いかと思うのですが、今後、自ら仕事を掴みに行く姿勢になるためには、どういう工夫が必要でしょうか。

山﨑理事:法人化前の国立大学であった時は、与えられた仕事を、いかに正確に積み上げていくかが、いい事務職員の条件だったと思います。それが法人化されて以降、「企画力」や「実行力」といった資質が、職員に求められています。大学の取り組みに対し、事務職員としてどんなことができるのか。それを企画・実行できる人材が必要になってきていると、私は実感しています。会議などの場で、しっかりと自分の意見を言えるようになることも大事ですね。私自身も、あえて若い職員に意見を求めることを心がけています。

4.家族を大切にすることが、仕事の安定にもつながる

山﨑理事:女性の採用が増えてきていますが、これからは、結婚や出産などのプロセスをどうやって乗り越えていくかが課題ですね。そこを整備しておかないと、ダイバーシティの取り組みが、次のステップに進めないのではと思います。

伊東副学長:育児と仕事の両立に対するサポート体制は以前よりも進んできていると思いますが、まだまだ不足しています。私たちが実施している「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ事業」の対象の主体は教員なかでも女性教員になっているので、今後は同様のサポートをすべての大学職員、学生向けにも拡げていけたらと考えています。

山﨑理事:今は男性職員の比率がまだ高いですから、産休や育休の影響はまだ少ないです。しかし女性の比率が高まってくると、影響もどんどん大きくなってきます。そこをどうやって乗り越えるかということですね。新しい要素が入りながら、日々流れていく仕事の中で、ダイバーシティの仕組みを取り入れた時に、果たして消化できるのかという懸念はあります。

伊東副学長:安倍首相は育休3年と言いますが、それではなかなか現場が回らないのも確かだと思いますし、さらに仕事へのモチベーションやスキルが遠ざかる心配もあります。育休の後、また戻っておいでねという職場の温かい姿勢があると、復帰しやすいですよね。

山﨑理事:ええ。話がずれるかもしれませんが、私個人としては、これまで仕事をやってこれたのは、いい家庭に支えられた安心感があったからだと思っています。仕事のときは仕事に集中し、休みのときは家族と過ごす。そういうことに、今ものすごく感謝しているんです。やはり精神的に行き詰まった時、助けてくれるのは家族の存在。女性職員が、出産とか育休後に仕事復帰したとしても、やはり家族というものを大切にしてほしいなと思いますね。

伊東副学長:家族が安定していないと、仕事も安定しませんよね。互いに状況を理解してやっていかないと。そこがワークライフバランスの醍醐味ですね。

(了)
※記事は抜粋・一部表現の修正をしています

【第四回】松坂 誠應 理事「チームが機能すれば、大学はもっと進歩する」

長崎大学 理事 松坂 誠應

聞き手:長崎大学ダイバーシティ推進センター長 伊東 昌子
インタビュー:2016年1月19日 理事室にて

1.教育改革の必要性を強く感じて

伊東副学長:松坂先生は、整形外科医から保健学科教授、保健学科長を経験されました。どのような経緯で、現在の教学担当理事に就任されることになったのですか?

松坂理事:以前、教学担当理事をされていた橋本先生に勧められ、全学教育教務委員会の副委員長になったのが、最初のきっかけです。
片峰学長の就任直後、教養教育改革に乗り出したのですが、自然科学分野の先生方に「経済学部の学生でも分かりやすい講義をしてほしい」とお願いしたところ、猛反発を受けたんです。「分かりやすくするということは、レベルを下げるということか」と。

多勢に無勢でしたが、「それはおかしいのでは」と思いました。これまで医師として、患者さんらに説明する際、専門知識を分かりやすく伝えることが、当然だと思っていましたから。

その後、学生にとって分かりやすく、満足度の高い講義を目指して「モジュール科目」ができたのですが、その改革を私が担当しました。ワーキンググループで熱心に協力してくださる先生もいて、教育改革の必要性を強く感じました。片峰学長の教育に対する強い情熱もあり、教学担当を頼まれた時「やろう」と決意しました。

2.専門家集団の調整は、ライフワークに通じる

伊東副学長:この領域に、大きなやりがいをお持ちだと推測しますが、もちろんご苦労も多いかと思います。

松坂理事:違う専門家同士がチームを組んでやりますから、お互いを調整することが大変ですね。しかし、私が専門とするリハビリテーションの分野では、当たり前のこと。ライフワークに通じるやりがいもあり、発見も大きいですよ。

3.チーム作りのコツは「余裕をもって考え」「専門性を生かす」こと

伊東副学長:チームを作り上げる上での、「松坂流コミュニケーション」のコツを教えてください。

松坂理事:イギリス留学した時、リハビリテーションのマクレラン教授から、「誰にでもできる仕事は、誰の仕事でもない」という言葉を教わりました。もともと私は「専門性が、チームを乱す原因になっているのでは」と考えていたのですが、イギリスでは「専門性があるからこそ、チームができる」というのです。

確かに野球でも、みんながセカンドだったら、チームは成り立ちません。それぞれのスペシャリストがいるから、チームになる。とはいえ、専門家の持つこだわりが、チームを作る上での阻害要因となっているのも事実です。「最後から一つ手前の真剣さで考える」。ドイツの神学者、カール・バルトの言葉です。あまり究極まで考えずに、一歩余裕を持って考えるということですね。

チームづくりのコツは、「ちょっと余裕を持って考える」、そして「専門性を生かしていく」ことだと思います。

同時に、相手に対する尊敬も必要。私は、新人でも「部下」と呼ばず、「仲間」と呼んでいます。あまり究極まで考えると自分中心になり、相手を尊敬できなくなる。相手のことを考えるだけの「隙間」を持つことが大事なのではないでしょうか。

4.外に出たら、7人の「味方」がいる

伊東副学長:仲間と一緒に仕事をするにあたり、松坂先生が心がけていらっしゃることは何ですか。また、先生の恩師の思い出もお聞かせください。

松坂理事:私のお師匠は整形外科の鈴木良平先生です。鈴木先生は「僕は外に出ると、7人の『味方』がいるからな」と話していて、いろんな方に「ありがとう、ありがとう」とおっしゃっていた。先生は、自分の限界を知っていて、人から助けてもらうたびに、感謝しておられたのだと思います。

もう一つ、先生は「医者・役者・芸者・学者は、『お座敷』がかかったら断っちゃいけない」とよく言われていました(笑)。頼まれたら「はい」と言うこと。出て行ったら、仲間がいるから心配するな。周りがサポートしてくれるから、失敗を恐れちゃいけない―ということだと思うんです。鈴木先生からの教えは、仲間にも伝えていきたいと思っています。

5.厳しい時代だからこそ、チーム作りに活路がある

伊東副学長:長崎大学は文部科学省からダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ事業に採択されました。その一つのワークスタイルイノベーション(働き方見直し)では、松坂先生のチームにもご協力いただいています。研究者がターゲットですが、変革の難しさもあります。

松坂理事:人の気持ちを変えるのは難しい。でも、人間は変わるものだと思っています。働き方見直しをする中で、チーム作りに関して勉強しています。ある大企業では、チーム作りの専門部局があるそうですね。大学でも、この厳しい時代だからこそ、働き方を見直し、チームを立て直さなければならない。ダイバーシティ推進センターに、チーム作りの機能を持たせるべきだと思っているんです。

チームができれば、工夫と支え合いが出てくる。役割分担をして、負担を分散することで、1+1が、3にも4にも5にもなるような取り組みをしていくことが必要。大学でチームが機能すれば、ものすごく進歩するはずです。

6.「優先順位」と「関連性」を考え、「生活感」を忘れない

伊東副学長:普段はしっかり仕事をし、週末はしっかり休むことを実践しておられる、松坂先生の時間管理の秘訣を教えてください。

松坂理事:「優先順位」をつけることが必要だと思っています。24時間という限られた時間をいかに大切に使うか、ということです。

私の原則としての優先順位は、まずキリスト教信仰、次に家族、3番目が仕事。日曜日は教会に行こうと決めています。

仕事も優先順位を決めていますが、たとえ自分の研究と関係ないような仕事に出会っても、お互いの「関連性」を常に考えるようにしています。その仕事に費やす時間は、必ず本来の仕事につながっていると思うと、自分の研究も一層深まるわけです。全く別の仕事と思えば嫌になりますが、関連付けて考えていくと、いいんじゃないかなと思います。

伊東副学長:目の前にある仕事を一生懸命やることで、本来やりたいことと結びつくことがありますよね。

松坂理事:忘れられない思い出があります。お産の後障害を持った女性の患者さんで、日常的に育児に関われないことに罪悪感を持っておられた。そんな中、アメリカでの研究結果で、両親が接した時間より、関わり方の質のほうが、成長に深く影響していることを知りました。そのことを患者さんに伝えた時、涙を流して喜んでいました。家族と関わる際にも、まず大事なのは「質」だと思うんです。

伊東副学長:これまで仕事をされてきた中で、一番嬉しかったことは何ですか。

松坂理事:たくさんありますよ(笑)。最近では、医学部保健学科と旧医療技術短大の理学療法学の教え子たちが、退職記念講演会を開いてお祝いしてくれたことですね。

伊東副学長:最後に、伝えたいメッセージがあれば、教えてください。

松坂理事:私が非常に大切にしていることの一つが「生活感」です。研究ばかりしていると生活感がなくなる。生活感のない科学は、必ず変な方向に行きます。生活感を持って話をすれば、共感が得られる。そのためには自分の仕事、生活、家庭、楽しみも含めて、共に尊重しながらやるのが健全だと思っています。

(了)
※記事は抜粋・一部表現の修正をしています

【第五回】山下 俊一 理事「自分自身が『動く教材』となって、大学に貢献したい」

長崎大学 理事 山下 俊一

聞き手:長崎大学ダイバーシティ推進センター長 伊東 昌子
インタビュー:2016年1月21日 理事室にて

1.グローバル化は「黒船来襲」、自分が変わるチャンス

伊東副学長:まずは国際担当・研究所担当理事としての、山下先生の思いを聞かせてください。

山下理事:研究と教育の国際化、この両方の推進役を担っています。大学の二枚看板である「熱帯医学研究所」と「原爆後障害医療研究所」を盛り立てていくこと。そして、長崎大学の使命・責務である、福島の復興支援の担当副学長としての役割も頂いています。良くも悪くも、私自身が「動く教材」となって、大学全体の研究の活性化、学生教育の向上に貢献できればと考えています。

伊東副学長:それは先生すごいですね。「動く教材」と言い切る心の広さが。

山下理事:福島の原発事故以降、メディア対応も余儀なくされて、すごく勉強になりました。それまでは、自分の専門分野だけで勝負すればいいと思っていた。考え方が一方向かつ偏狭だったのですね。でも福島に行ったら、怒りと不安、不満と不信が渦巻いていました。情報社会の現代ではいろんな情報が錯綜し、真偽の確認のないまま直ぐに広がります。短い行間の中に誇張や作為、風評や間違いが沢山あるなと思いました。

そんな経験も踏まえ、あらためてグローバル化とはどういうことかと考えると、結局は、「自分自身の問題」だと言えるのです。

グローバル化というのは「黒船来襲」と同じ。自分が「井の中の蛙」であることを教えてくれる、改革推進の大きな外圧になるのです。ぬるま湯に浸っていた長崎大学の意識に、外から揺さぶりをかけるのがグローバル化。「自分が変わる」チャンスを与えてくれるものなのです。

伊東副学長:長崎大学の理事として、グローバル化の中で、どういう大学を作っていきたいですか。

山下理事:長崎は、海外の窓口としての出島、そしてカトリックの歴史的背景などのブランド力がある。一方で、長崎大学はどうかというと、まだまだでしょう。世界レベルに近い熱帯医学研究所と原爆後障害医療研究所、この2つを伸ばすのは重要ですが、これだけでは不十分。大学のグローバル化戦略の柱は他にも必要。海洋水産であったり、環境であったり、工学や経済などもあります。それぞれの教員の意識改革、これが最低限の条件になるでしょうね。

伊東副学長:なかなか学生たちが留学をしたがらなくなりましたね。なぜだろうと思うのですが。

山下理事:今は選択の余地は多いし、バーチャルの世界に生きているから、いろんな意味で豊かですよね。昔のように何もなければ、留学も一つの選択肢だったんでしょうが、果敢な挑戦心が無くても、いろんなものが一見、手に入るような錯覚をするわけです。「ちょっと旅に出る」勇気が求められます。違う環境に身を置くことは、国内外どこであろうと留学なわけです。学生たちが、旅する心の喜びをどうやって育てていくかが課題ですね。

伊東副学長:グローバルに活躍する人材を育成するための課題と障害は、どんなことだとお考えですか。

山下理事:グローバル化は目的ではなく手段です。最終的な大学の目的は、社会に出て荒波に揉まれても頑張れるような、そういう学生を育成すること。そのためのグローバル化において、最大の障害があるとすれば、それは教員の意識だと思います。師の背中を見て、学生に夢と希望を抱かせるような環境の提供が理想です。教員が高いモチベーションを持ち、業績を上げていれば、学生たちもそれを見て近づいていくわけです。知識というのは陳腐化するし、価値観も変わる。普遍的なものをどうやって教えていくか、それが我々にとって最大の問題です。人間同士、人格同士が触れ合う「家庭のような関係」、すなわち尊敬、信頼できるような関係を教育の場として提供するという大学全体の見直しが必要です。

2.福島の経験で学んだ、科学者としての責務

伊東副学長:山下先生は「福島原発事故以来の貴重な体験は、科学者社会の危機、すなわち大学の危機ともいえる状況」だとおっしゃっていますね。

山下理事:科学者の社会的な責務は、しっかり論理的な思考力を持って説明していくことだと思っています。ただ、その言葉が、結果的にどういうアウトカムを生むのか。そこまで責任を持って、科学者は伝えなければならないということです。ガンの告知だって、本人の気持ちや周りの環境も考えながら伝えていくでしょう。原発事故の際、放射線のリスクを国民にどう伝えていくかも、自然科学、すなわち医学、物理だけの専門家だけでなく、人文社会科学分野の知見も取り入れながら、効果的な説明の仕方を考えていく必要があると思います。そういう一連の学問体系作りが、これから大学でも必要でしょう。そうしないと、同じことを繰り返していくと思います。

伊東副学長:山下先生は、いつもバイタリティーがあるイメージがありますが。

山下理事:年の3分の1ぐらいは海外で、出張が多かったから、移動中が一番時間が取れますね。本も読めますし。頭を整理するために一番いい時間帯ですね。移動の時間を上手に使うよう心がけています。時間の管理が大事。仕事の量が増えれば、全部ができるわけではないから、取捨選択が必要になります。

3.ジェンダーバランスは、どの世界でも大事

伊東副学長:先生は、女性研究者もたくさん育成されていますね。

山下理事:男女で能力やポストを区別したことはありません。ただ、女性と男性で違うのは結婚や出産ですよね。やはり人生が変わります。再び研究に戻るためには、環境の整備が必要。保育所に預けないといけないし、育児も介護も、役割分担が必要だと思います。女性もチャンスや環境が整えば、もっと立派に活躍できるはずです。

伊東副学長:女性研究者にこれから望むことは。

山下理事:過度な期待や無理をしないということ。一つの例が小保方さんだと思います。期待されればされるだけ、追い詰められてしまう。女性に限らず、人を追い詰めるのは良くない。研究には向き不向きがあり、それこそ多様な価値観があるわけです。女性は理系がダメで、文系がいいという偏見がありますよね。あんなこと、普通あり得ない。大学の教授会もほとんど男性。でも福島で、不安がるお母さん達を助けたのは女性医師の皆さんでした。被災住民の半分も女性なのです。ジェンダーバランスは、どの世界でも大事です。

4.サイレントマジョリティーに耳を傾ける

伊東副学長:他に伝えたいメッセージはありますか。

山下理事:今年は、東日本大震災、そして福島原発事故から5年になります。さらに、チェルノブイリの原発事故から30年。いったい我々は何を学び、何を伝えなければならいのか。現場の声をメディアが正しく伝えているとは限りません。センセーショナルな言説に惑わされないことが大事です。言葉や画像には出てこない、サイレントマジョリティーの存在が大きいのですね。福島で大変な局面に遭遇しましたが、有形無形にたくさんの応援を頂きました。困難なこと、矛盾や不条理に直面しても一人で悩むことはありません。一人のスーパーマンよりも、いいマネージャーになることも重要でしょう。私の一番の反省は、20年間WHOで放射線災害医療の仕事をしながら、足元の福島の原発事故が起こった時、十分な力を発揮できなかったということ。そんなことも含めて、私自身が良くも悪くも「いい教材」なんです。

(了)
※記事は抜粋・一部表現の修正をしています

【第六回】福永 博俊 理事「『あきらめからは何も生まれない』と学生に伝えたい」

長崎大学 理事 福永 博俊

聞き手:長崎大学ダイバーシティ推進センター長 伊東 昌子
インタビュー:2016年2月15日 理事室にて

1.若い人は「磨かれていない玉」。可能性は無限にある

伊東副学長:まずは、福永先生の研究分野について教えてください。

福永理事:私の専門は「磁気工学」です。物理、化学、工学といった分野に横串を刺したような、学問横断的な分野です。研究者はそこまで多くないですね。現在、日本磁気学会の会長をしていますが、会員が2000人ぐらいの規模です。身近なところで言えば、磁石や、パソコンのハードディスクの磁気メモリ、超伝導なども我々の研究分野です。

伊東副学長:福永先生は、学生の学ぶ意欲に火をつける姿勢が素晴らしいですよね。もともと教育がお好きですか。

福永理事:学生と接するのが好きですね。若い人の可能性は無限でしょう? 統計上はっきりしているのは、入学試験の点数がいいからといって、大学の成績には関係しないということ。大学でどれだけ頑張ったかで決まるんです。学生は、磨かれていない玉のようなもの。そういう人と接すると自分も若くなる。今は忙しくて接する時間がないので残念ですが。

伊東副学長:入学する時期って18歳ぐらいですよね。自分の進路を決めるとなると、その若さではなかなか難しいと思います。

福永理事:私自身はあまり考えない方ですね。「何をしようと同じ」だと思っているんです(笑)。自分の人生を振り返ってみてもそう。工学部4年で卒業研究をする際に、専門分野を決めるんです。私は計算機がすごく好きだったのですが、研究室の先生が定年間近ということで、ひょんなことから磁気工学の先生に誘われ、現在の道に進みました。もともと、どこに進んでも同じというスタンスでいますが、そこから自分自身が、納得してやるかどうかが鍵だと思っています。学生もよく相談に来るのですが、もう本人の心の中では決まっていて、ただ背中を押してもらいたいだけなんですね。学生には「塞翁が馬」と言っています。何が良くて何が悪いかなんて分からない。それが私のポリシーです。

2.工学系の魅力示せないのは、大学の責任

伊東副学長:工学部の領域で、特に電気の分野には女子学生が少ないですよね。

福永理事:どうしてでしょうね。情報分野は多くなりましたが、電気の方は少ないですね。ヘルメットをかぶる印象が強いのでしょうか(笑)。重電、発電所のイメージも強いですね。名称を変えるのもいいかもしれません。土木工学も、社会開発とか社会デザインといった名称に変わっていますよね。そこへ、都市計画やまちづくりをしたいという学生が、入ってくるようになりました。

伊東副学長:ダイバーシティ研究環境イニシアティブ事業では、工学系で学生、教員共に女性の比率が少ないので、増やす働きかけをしたいと思っています。中学生や高校生にも、工学部に行こうというキャンペーンができないかと。

福永理事:それはいいですね(笑)。高校生ぐらいまでは、理系でも女子の比率はそこまで少なくないんですよ。例えば工学部の電気は嫌だという意識は、そんなにないんじゃないかと思うんです。きちんと魅力を示せないのは、大学に責任があると思います。今でもパンフレットなどには必ず女性に出てもらい、キャリアについて語ってもらっています。大手企業などでは工学系の女子学生を積極的に採用するようになっています。就職に困るということは少ないですね。

伊東副学長:医学や薬学、看護学などのように、資格を取って専門の職業に就ける分野は、女子学生にも割と人気があるのですが、理工系ですと将来何ができるのかなという漠然とした印象があるようです。

福永理事:工学部では就職担当の教員が、学生と企業の希望を聞いてマッチングを行っています。大手の電機メーカーは、女子学生も積極的に採用してくれます。一方で中小企業では、現場の仕事があるからということで「遠慮したい」というところもあります。まだ現場監督など、環境整備がされていない面もあり、本音では難しいのでしょうね。働く環境を整えることが大事だと思います。

3.異分野の融合進めば、もっと素晴らしい大学に

伊東副学長:ダイバーシティ推進センターでも、研究者を対象にワークスタイルイノベーション事業を行っています。働き方を見直し、仕事の効率化に取り組んでいます。研究には無駄も必要だとか、議論もありますが。

福永理事:チームで研究する時は有効だと思います。このような取り組みは、最初は正直面倒だと思うかもしれません。でもやってみて、実感を得たら変わると思います。例えば電子メールだって、私も初めは「こんな馬鹿なものがあるか」と否定的でした。でも使ってみれば電話よりも、情報共有の面で、はるかに優れている。最初は抵抗があっても、便利だと分かれば受け入れられますよね。今回の取り組みでも、最初のモデルケースが非常に大切だと思います。

伊東副学長:福永先生から見て、長崎大学の潜在力をどう捉えていますか。今後伸びていく何かを秘めているでしょうか。

福永理事:長崎大学も、まだ磨かれていない玉だと思います。情報が関東地区に比べて遅れていると思います。インパクトファクター(文献引用影響率)について、あまり意識されていないケースも多いです。インパクトファクターが全てとは言いませんが、一つの重要な指標ではあります。その辺がきちんと伝わっていないし、まだ磨かれていないという感じは非常にします。

伊東副学長:今後磨いていくには、どうしたらよいでしょうか。

福永理事:まずは現状認識が大事です。世界、あるいは日本の中でどのような競争をしているのか、現時点ではまだ認識が足りないのだと思います。今一生懸命やろうとしているのは異分野融合です。長崎大学は、せっかくの総合大学ですから。医工連携は早くから取り組んできていますね。これからは、文理融合が大きなテーマです。中でも環境科学部は、日本初の典型的な異分野・文理融合の学部です。今後新しいものが生み出されれば、長崎大学も素晴らしい大学になっていくと思います。もっと学部同士での情報共有が進んでいけばいいですね。

伊東副学長:以前、私も骨の構造研究をした際、工学系の先生と連携しましたが、まず互いの領域の言語を理解するまでに2年かかりました。しかし振り返ると楽しかったですし、いままで自分たちが持っていないものに触れられたのは素晴らしい経験でした。

福永理事:私たち磁気工学の中でも、生体磁気という分野があります。磁気の生体への影響だとか、人工心臓についての研究などもしています。今後も医学部と連携していきたいですね。互いのマッチングがうまくいけばいいなと思います。

伊東副学長:本当ですね。それでは最後に、福永先生からメッセージをお願いします。

福永理事:学生には「あきらめからは何も生まれない」と言っています。例えば、学生に何か提案すると、「できません」と、その理由を理路整然と言うわけです(笑)。でも、そこから私たちは、何かを生み出していくんです。だから私は大学の教員になったし、学生の皆さんにも、そうしたことに喜びを感じてほしいと思っています。できない理由を並べたって、何も面白くないだろう、と言いたいのです。

(了)
※記事は抜粋・一部表現の修正をしています

【第七回】増﨑 英明 理事「キーワードは『ビジョン』。一人一人が夢を持ち、楽しめる組織に」

長崎大学 理事 増﨑 英明

聞き手:長崎大学ダイバーシティ推進センター長 伊東 昌子
インタビュー:2016年3月2日 理事室にて

1.大学病院は、診療・研究・教育ができる「楽しい場所」

伊東副学長:増﨑先生は、なぜ医学の道を志したのですか?

増﨑理事:私は10人兄弟の末っ子で、姉が3人いますが、すべて医者に嫁いでいます。父は商売をしており兄たちは父の跡を継ぎましたが、最後の息子一人は医者にしたかったようで、私に医学の道に行くことを勧めました。父は、医師を誇り高い職業だと思っていたようです。私は佐賀県伊万里市から鹿児島のラ・サール高校へ進学し、長崎大学医学部に進学しました。よく医者になった理由を聞かれて、身体の弱い家族がいて・・・などと言う学生がいますが、私の場合、家族はみんな健康体で、長生きの家系です(笑)。

伊東副学長:誇り高い職業、というのはその通りかもしれませんね。患者さんに感謝され、高いモチベーションも維持できます。

増﨑理事:意識高くやっていないと転んじゃいそうですものね。私には子どもが4人いますが、親の姿を見ていたら忙しいばかりの生活で、みんな医師にはなりたくないと言います(笑)。私は口うるさいオヤジだから、かえって違う職業に就いてくれる方がいいですよ。

伊東副学長:病院担当理事になる前の副病院長時代から、診療、研究、教育に加えて大学病院の経営に関わってこられましたが、振り返ってみていかがですか。

増﨑理事:病院経営は一言で言うと楽しいですね。そもそも楽しくないことは、やらない性格です(笑)。教授になって10年が経ち、そろそろ後輩へのバトンタッチを考えていた頃に、病院長のお話をいただきました。尊敬する片峰学長と仕事がしてみたいという思いも強くあり、お引き受けしました。

大学病院とはいえ、この頃は安定した経営が求められています。大学病院はおよそ3000人の従業員をかかえる企業とみることもできます。その一人一人の生活に対して責任を持つことが、病院長には求められています。病院長になって、私には父と同じような血が流れていることを自覚しましたが、これは私にとって思いがけず大きな気づきでした。

伊東副学長:増﨑先生の病院長としてのミッションは、どんなことですか。

増﨑理事:まず経営を立て直すことが最初の目標でした。就任時は、年間マイナス13億円の赤字予測という現実に緊張しましたが、暗くならないように、周りが明るくなるように気をつけました。

大学病院には教育・研究・診療の3つの柱がありますが、まずは診療を頑張って経営基盤を立て直そう、ということを発信しました。本当にみなさんが頑張ってくれて、V字カーブで回復したのには、大学病院の持つ底力を感じました。

病院経営に一定の見通しが立ったので、これからは、いよいよ教育や研究に力を入れていきたいですね。それこそが大学の使命ですから。

伊東副学長:若い医師に期待すること、学生がキャリアを決める際に重要だと思っていることは何ですか。

増﨑理事:病院長になって、私は「ビジョン」という言葉を掲げました。一人一人が夢を持ち、どういうミッションでやっていくかが大事だと思っています。病院全体を安定基盤に乗せた上で、大学病院でしかできない診療や研究、教育をやっていく。それがみんなにとって、楽しいことなんじゃないかと思うんです。

研究は自分自身が楽しいからやる。教育は若い先生たち、チームを元気に育てていく楽しさがある。診療は、病院全体や外部の病院を含めた大きな意味での楽しみがある。いろんな場所で活躍する場面があり、自分に合ったところを選べるのが、大学病院の一番いいところ。本来大学病院は、楽しい場所なんですよね。明るい人に向いている職場だと思います。

2.「人は力なり」。互いに補完しあう関係性をつくる

伊東副学長:長崎大学の働き方見直しプロジェクト(ワークスタイルイノベーション)に、大学病院からも消化器内科と第二外科が参加しています(※平成27年度)。取り組みの効果も早速出ていて、今後は看護や事務部門にも対象を広げていきたいと考えています。女性研究者ももっと増やしていきたいのですが、増﨑先生も並々ならぬ思いがありますよね。

増﨑理事:働き方の見直しに関しては、大学病院でも今後是非やっていきたいと思いますね。女性研究者育成については、私からもいろいろお話ししたいことがあります。

実は、私自身が産婦人科の教授になった時、医局員の数が、ものすごく少なかったんです。当時は医師に占める女性医師の割合がふえてきた時代でしたから、女性医師をたくさん採用すること、それと医師が辞めない医局を作ろうと考えました。全体の人数が少ないと、あちこちにしわ寄せが来てしまうので、たとえ男性医師が減ったとしても、まずは思い切り女性医師を増やすという作戦を立てました。

そして医局員が子どもを妊娠しても、周囲のみんなは一切文句を言わないことにしたんです。妊娠が分かったら、みんなで「おめでとう」を言う。数年たつと育児休業の際も、周囲が「半年でなく1年休んで、しっかり子育てしなさい」と言えるようになりました。

その後10年間、医局員も順調に増え、驚いたことに医局員の出産する子どもの数まで増えました。これは思いがけず嬉しいことでした。そして女性医師が増えた結果として、この頃は男性医師の入局者がふえつつあります。男女ともに住みやすい医局を作ったと思えば、たいへん誇らしいことです。ダイバーシティって多様性と言うけれど、結局みんな一緒に共生していくってことですよね。難しいことではないと思うんです。

伊東副学長:産科婦人科同様、他の医局でも実現するには、どうしたらよいでしょうか。

増﨑理事:長崎にたくさん医師をふやすことですよ。やはり補完できる人がいることが大事です。子どもを産む人もいれば、産まない人もいるし、独身の人もいれば、既婚の人もいる。この多様性の中で、どうやって同じ価値観でやっていけるのか、最初は想像できませんでしたね。男性と女性、既婚と未婚の衝突は確かにありましたが、その時期を通り過ぎると、そんな意識は消えていきました。結局、お互いに補完しているということが分かったからです。そして医局員が、きっちり育児休業が取れるよう、派遣先の病院も説得に回りました。そうした積み重ねで、職場の環境を整備していくことが重要です。

伊東副学長:説得して回ったりするのは、簡単なことではありませんね。

増﨑理事:根性が座らないと、なかなかできないですね。どの病院も育児休業をほとんど取得した実績がない中で動きましたから。でも、それを積み重ねた結果として、医師が集まってきたわけです。

1人が育児休業を取った場合、誰がその穴を埋めるかということが課題です。始めのうちは何とかしのぎつつ、人がふえてきたら自然と回るようになりました。

「人は力なり」とは、まさにこのことで、大学病院も「人がすべて」だと思っています。人を大事にし、「医療安全」と「情報共有」を進める。これさえできれば病院は自分で動いていくんです。カリスマ医師がいなくても、自然に回っていく病院を作ることが、私の目標でもあります。

伊東副学長:病児保育についても、国の方針が緩和されて、設置の可能性が高くなってきました。長崎大学病院にも設置の気運が上がっていますが、いかがでしょうか。

増﨑理事:そうですね。院内保育所の次は病児保育だと思っています。病院としても、できる限りバックアップしたいと考えています。病院と本部で連携しながら、実現に結びつけばいいですね。

3.盆栽は、家族で育てる

伊東副学長:最後に、先生の趣味、「盆栽」のことをお聞かせください。

増﨑理事:盆栽は、若い頃から始めないとダメですよ。「桃栗三年柿八年…」というふうに、できあがるまでには時間がかかるんです。その面白さは、実際にやってみないと分からない。生き物なので、水やりを忘れると、1日で死んでしまいます。家族みんなで面倒見ないといけないので、家族が仲良くないと育てられないんです。これもある種のチーム医療かもしれませんね(笑)。

盆栽の世界に入ったのは、埼玉の盆栽町で、徳川家光遺愛の五葉松を見たのがきっかけです。一方で、陶磁器の鉢の可愛らしさにも、惹かれます。

盆栽は、生き物と陶磁器、両方の絶妙の組み合わせが魅力なんです。

(了)
※記事は抜粋・一部表現の修正をしています